2016年4月11日月曜日

4月10日、保坂和志の本 / Books of Kazushi Hosaka, 10th of April, 2016


目次 / Contents 
1) 本との出会い / Meeting Books
2) 感想 / Reviews
     A.  2冊の本 / Two Books 
     B. ミューズ  / Muse
     C.『草の上の朝食』/ "Breakfast on the Grasses"
     D. 表紙 / Cover



1) 本との出会い / Meeting Books


保坂 和志 (ホサカ カズシ / 1956 - ) の本を読みました。


「鎌倉といえば、作家、保坂和志

SYさんから聞き、本は購入したものの、未読の山の一部になっておりました。

横須賀線開通 (1889年) 以後、鎌倉には作家 (鎌倉文士) やアーティストが多く住み、保坂氏もその一人で、洋画家 朝井 閑右衛門 (アサイ カンウエモン/ 1901 - 1983) のアトリエも由比ヶ浜にあります。

アトリエについては下記
❷ギャラリー招山 - 朝井閑右衛門 アトリエ, Gallery Shouzan - Kanuemon...

保坂氏も朝井画伯も"招山ギャラリー、由比ヶ浜"を通して知りました。


"招山ギャラリー、由比ヶ浜"は、私の個展:『Coonie's Space in Kamakura, 2015』の場所でした。

個展については下記
❶個展 / My Exhibition: Coonie's Space Quest in Kamak...

個展 / My Exhibition: Coonie's Space Quest in Kamak...

"招山ギャラリー、由比ヶ浜"は、朝井画伯の家の敷地にありますが、ギャラリーがオープンしていても、母屋にあるアトリエは通常見ることができません。


ギャラリーオーナーのWさんから、母屋で行われる中国茶会 (
2014年10月)の事を聞き、その茶会に参加し、アトリエを見ることができました。

中国茶会については下記
❸ギャラリー招山- 朝井邸にて中国茶会, Gallery Shouzan- Chinese Tea ...

SYさんは、その茶会でお隣の席でした。


SYさんは、東京在住にもかかわらず、参加していましたし、翌年、私の個展にもお友達と一緒にいらしてくださりました。ありがとうございました。


スローな私は、個展から1年近くたってようやく、彼女から教えてもらった作家、

保坂氏の作品を読んだのです。
白い猫と"バベルの塔"
個展 Coonie's Space in Kamakura, 2015
"
招山ギャラリー、由比ヶ浜"

White Cat and "
The Tower of Babel"

My Exhibition : 
Coonie's Space in Kamakura, 2015





Meeting Books

I have just read books by 
Kazushi Hosaka (1956 - ).


'Speaking of Kamakura, a novelist is Kazushi Hosaka

 I heard this from SY San and although I then bought two of his books they joined the unread mountain.

There have been many novelists and artists in Kamakura,  Kanagawa Prefecture since JR Yokosuka Line opened in 1889, Kazushi Hosaka is one of them and another was a painter, Kanuemon Asai (1901 ~ 1983).


His studio was in Yuigahama, part of Kamakura. 

About his studio below.
ギャラリー招山 - 朝井閑右衛門 アトリエ, Gallery Shouzan - Kanuemon...

I knew of the novelist and the painter through Shouzan Gallery, Yuigahama.


The Gallery was the place of my exhibition, Coonie's Space in Kamakura, 2015.

About the Exhibition below.
個展 / My Exhibition: Coonie's Space Quest in Kamak...

個展 / My Exhibition: Coonie's Space Quest in Kamak...

The Gallery is in the garden of the painter's house, normally we cannot see the inside of the house even when the Gallery opens.


The Gallery owner, W San introduced me to a 'Chinese Tea Ceremony' to be held in the house, Oct. 2014, I joined the Ceremony and I could see the inside the house.

About the Ceremony, below.
ギャラリー招山- 朝井邸にて中国茶会, Gallery Shouzan- Chinese Tea ...

Though SY San lives in Tokyo, she joined the Ceremony and on another trip came to my Exhibition with her friend. 
Thank you very much.


I am slow, so  nearly one year after my exhibition, eventually I read Hosaka's books which she told me about.

保坂和志の本
左 『プレーンソング』
1990 / 講談社2000 / 中央公論新社
表紙の写真 : 朱雀 正道 (スザクセイドウ / 1959 -) 
表紙デザイン : 平野 敬子 (ヒラノケイコ / 1959 - )

右 『草の上の朝食』
1993 / 講談社→ 2000 / 中央公論新社
表紙の写真: 井村 宏次 (イムラ コウジ / 1941 - 2014)
表紙デザイン : 魚本 敬正 (ウオモトタカマサ / ? - ?)

Books by Kazushi Hosaka 
(1956 - )
Left : "Plainsong
1990/ Kodansha  : 
Cover Photograph : Saido Suzaku (1959 - )
Cover Design : Keiko Hirano (? - ?)

Right : "Breakfast on the Grasses" : "Kusa no ue no choshoku"

1993 / Kodansha →2000 / Chūōkōron-sha
Cover Photograph : Kouji Imura (1941 - 2014)
Cover Design : Takamasa Uomoto (? - ?)



2) 感想 / Reviews



A. 2冊の本 / Two Books 


出版順ではあとになる、『草の上の朝食(1993 / 講談社→2000/ 中央公論新社を『プレーンソング』(1990 / 講談社→2000 / 中央公論新社) より先に読みました。

それにはたいした理由はなく、ただ『草の上の朝食』を先に購入していたからというだけのものでした。

2冊の主人公は同じで、登場人物もほぼかわりがなく、ダイアリー風の内容で、ドラマ型よりもドキュメンタリー型です。話の舞台は、東京の練馬

主人公は、二人の男性 、'島田'と'アキラ'、一人の女性、アキラの恋人、'よう子' と同居しています。

同居といっても、主人公の部屋、2LDKに他3名が居候している形です。

登場人物は他に数人います。

視点は主人公にあり、文章がかなり独特の口語調で、
日常生活やできごとを丁寧に追っています。

何がおきるかという事よりも、起きたできごとをどのように捉えるか、どのように感じるかということに重きが置かれ、
言葉ができるだけ、くだいて使用されています。

そこから、作者が人物の底にある気持ちや思考を探り、難しい言葉を振りまいて、ごまかしてしまわないようにしている姿勢を感じます。


私は、2冊を自分の生活や人生をからめながら読みました。

それは、まるで本の中を散歩しているような感じでした。


登場人物は、自分の興味があることや価値があることに一所懸命な人たちです。


その興味は一般常識の中では価値が高くないとされていたとしても、彼らは動じません。


どの人をとっても、自分自身を失うことなく、自分の生き方を通しているにもかかわらず、何かと戦っている様子でもありません。

'自分も自由にするから、あなたも自由に' ということを各自が自然に自覚し実現しています。

根本的に強い人々であり、それそれの個性がバランスよく噛み合った人間関係で、読んでいて不快な気持ちになりません。

作者は自分の理想の人々のみを描いたのでしょうか?

理想の小世界を描いたのでしょうか?

主人公の目は人間観察から、猫の観察へも広がります。

作者は猫の方が人間よりも好きなのかもしれません。


最後まで語り手である主人公の名は明かされませんが、違和感なく、あざとさも感じず、読み進められたことに驚きます。

『プレーンソング』の出だしの文章は、口語調が控えめであると感じました。


読者を独特の文章にだんだんと慣れさせるためなのか、作家が自分のリズムにのる助走部分のためなのかなどと、出だし部分で、考えた
のは、時系列と逆に読んだためかもしれません。



白い猫とWさんの足
白い猫はギャラリーに居ついています。
Wさんは大好き人間。招山ギャラリー、由比ヶ浜

White Cat and W san's feet
The white Cat feels at home round the Gallery,
W San loves cats.


Two Books 

I read "Breakfast on the Grasses" earlier than "Plainsong", though "Breakfast on the Grasses" was published later than "Plainsong". 

I did not have a particular reason, I  just bought "Breakfast on the Grasses" earlier than "Plainsong".

The main character in both books is the same, the others are not so different, the novels are both in diary form, they are not one story in two books.

The location is Nerima, Tokyo.

The main character shares his flat with two men, 'Shimada', 'Akira', plus Akira's girlfriend, 'Yoko', although the three people are scroungers and do not pay rent.


There are some other people in the books.


Both novels are written from the point of the main character and the style is a unique spoken language, and the narrative carefully follows what happens in daily life.

The story focuses on how he thinks and feels about what happens rather than what actually happens.

The novelist keeps the words as light as he could.

Thence I feel that he explored the people's real feelings and avoided deceit by sprinkling difficult words.


While I read the two books I found myself thinking about my daily life and life.


The reading was like a stroll in the story.

The characters try as hard as they can for their own self-interests.

Even though their self-interests are not approved of by most people, they are unflappable, they do not care. 


Each character never loses their self-confidence and their lives carry on.


However, they do not seem to have to fight something.

Each person understands naturally that 'I do what I like, so you can too', and this is what they do. 

Basically they are strong and each has their own different individuality, they combine to make well-balanced human relationships, so I was not uncomfortable.

Did the novelist just write about his ideal people?

Did he wrote his small ideal world?

The observations of the main character changed from just looking at people to looking at cats.

The novelist seems to like cats more than people.

The book does not tell us the main character's name until the end, although I could read without any feeling of strangeness or cunning, which surprise me.

I felt that the writing in the start of "Plainsong" is not so distinctive.

When I read there I guess that that allows readers to gradually become used to the unique writing he used later on, or the novelist was still in an approach run for the catching of his own rhythm, I might feel like this because I read the later book first.
個展では、白い猫がとても良い効果をあげてくれました。
The visits of the white cat created good effects in my Exhibition.


B. ミューズ  / Muse 


主人公は、'島田'と'アキラ'、'よう子' と暮らしています。

その中で、'よう子' はミューズ の役割をしていると感じました。

'よう子が一番ゆるぎなく生きていて、男性陣は、自分にとっても 'よう子' にとっても、気持ちよく、'よう子に合わせている様子です。

そう書いてしまうと、'よう子' が支配する世界のように聞こえてしまいますが、そうではありません。

各自のしたいことや興味あることに影響はしあっても、競争心もおこさないし、支配しようとする人もいず、かなり平等な関係が築かれています。


理想的な環境がそこにあります。

その中で、彼女が大事に扱われている様子ですし、彼女の決断が読者に共感を抱かせるものにもなっています。

少なくとも私は、彼女の判断をそんなひどい!とは思いませんでした。

話の中の猫も、彼女同様に接しられているように思います。


猫も、ミューズなのかもしれません。


または、'よう子 'は、猫の化身で、両方が他の人物のミューズなのかもしれません。


作者にとって猫がミューズなのかもしれません。
白い猫と一緒に
Coonie's Space in Kamakura, 2015
招山ギャラリー、由比ヶ浜

With White Cat

Coonie's Space in Kamakura, 2015


Muse


The main character lives with 'Shimada' , 'Akira' and 'Yoko'.


I felt 'Yoko' acts as a Muse for them.


Yoko lives most steadily and the men seem to adjust to her comfortably.


If I write like this, it might give you the image that Yoko dominates their world, however, she does not. 


Each person has something they want to do or a interested in something, the people influence each other although they do not make competitive spirit and nobody would dominate, so they have quite equal relationship. 

There is an ideal environment.

In the environment, she seems to be treated affectionately by others and her decisions make readers sympathetic, at least for me who did not feel her decisions are awful. 

In my view, the cats in the story are treated as affectionately as Yoko is by the men. 

The cats might also be Muses. 


'Yoko' is the sprit of a cat and they all might be Muses for the men. 

Maybe cats are Muses for the novelist.




C.草の上の朝食』/ "Breakfast on the Grasses"


私には『草の上の朝食』の方が『プレーンソング』より、濃密な描写になっている印象があります。

草の上の朝食』では、新しい登場人物、主人公の恋愛相手の '工藤さん' がいます。

恋愛を通して主人公本人の精神状態も、周囲の人々への目も、内側へ深まっているのを感じました。


草の上の朝食』のタイトルは、西洋画 (油絵の "草上の昼食" (ソウジョウノチュウショクと関係づけしていて、名付けたものかしら?と読書中に推測しました。

西洋画の"草上の昼食"は、1863年にエドゥアール・マネ (1832 - 1883)  が描き(下の画像) 、当時の絵画の常識に挑戦するものであり、画期的な絵でした。

その後、1866クロード・モネ (1840 - 1926)   :  /  が同じタイトルで描き、
セザンヌ (1839 - 1906)
ピカソ (1881 - 1973) などが同じタイトルのシリーズを描き現在でも
アニメーション :Eine murul / "Breakfast on the Grass" by Priit Pärn (1946 - )  :  
絵本 "リサとガスパールのピクニック(下の画像などでもその影響を受けた作品が作られています。

絵画の "草上の昼食はピクニック風景で、保坂さんの草の上の朝食』はピクニックに漂うリラックスした雰囲気が流れています。

小説の登場人物たちは、一般常識に縛られず生きているので、そういう面からも常識を破ろうとした"草上の昼食"とのつながりを感じます。

"草上の昼食"は、発表当時、かなり酷評されましたが、草の上の朝食』の中で、登場人物を悪く言う人は出てきません。

そうそう、『プレーンソング』のタイトルの方も触れなくては、片手落ちのようで、私の気が落ち着かないのでちょっと書きます。


英語に 'Plainsong' という単語があり、 (グレゴリオ聖歌などの) 単旋律聖歌 (プレーンチャント / Plainchant) という意味であるというのを知りました。


どんな曲調なのかと思い、youtube ( / ) で聞いてみると、中世の教会が目に浮かび、荘厳な気持ちにさせられる音楽で、本とのギャップに驚きました。


"修道士カドフェル" [原作、エリス・ピーターズ (1913 -1995) 
TVドラマ (1994 - 1998 / 英国 ITV) のオープニング曲 () を思い出し、また国家 '君が代' に旋律が似ていると感じ、それは私に違う驚きをもたらしました。
(まさか、'君が代' のもとがグレゴリオ聖歌ということはないですよね???)

保坂氏がなぜこれをタイトルに選択したのか、私には考えが及びません。


ただ、'プレーンソング' を和製英語として捉えると、飾らない日常生活を描いているからと理解できます。
"草上の昼食1862

"The Luncheon on the Grass" 1866
Édouard Manet (1832 - 1883) 
Held : Musée d'OrsayParis
画像は下記より / This from below


"リサとガスパールのピクニック"
文 アン・グットマン (1970 -)
訳:石津ちひろ (1953 -)

"Le pique-nique de Gaspard et Lisa" 
("Gaspard and Lisa's Picnic")
Created by Anne Gutman (1970 -)
                            Georg Hallensleben (1958 -)
Japanese Edition in 2006 / Bronze Shinsha
画像は下記より / This from below




"Breakfast on the Grasses"

My impression is that "Breakfast on the Grasses" is denser than "Plainsong". 

There is a new character, a woman, Kudo San in the "Breakfast on the Grasses". 

She is the main character's girlfriend, so I think the depiction become deeply through love about the mental condition of the main character and inside of those around the main one. 

While I read "Breakfast on the Grasses", I guessed that the title related with the paintings : "Le Déjeuner sur l'herbe" : "The Luncheon on the Grass", so the book title was named.

The original painting of "The Luncheon on the Grass" in 1863 by Édouard Manet (1832 – 1883 / 
above) , the painting challenged the general sense of the painting world at that time and the picture was revolutionary.

After then another one in 1866 by Claude Monet 
(1840 - 1926)   :  / 
the series of one were created by Paul Cézanne (1839 – 1906)  :  and 
Pablo Picasso (1881 – 1973) :  / ,  and other artists painted using same title and theme like them ;  .

Even now we can see the influence of the picture,  for example, 
 an animation of “Eine murul / 'Breakfast on the Grass' “ 
by Priit Pärn (1946 - )  :  or in a children's picture book  
"Le pique-nique de Gaspard et Lisa" ("Gaspard and Lisa's Picnic"
by Anne Gutman (1970 -) and Georg Hallensleben (1958 -), above.

The painting of  "The Luncheon on the Grass" shows the picnic scene and the novel has a relaxed atmosphere like a picnic.

The characters in the story are not chained by conventional sense so I feel the book title and the painting atmosphere are related in this aspect, too.

When "The Luncheon on the Grass" was first exhibited it was criticized severely, although in the story, nobody criticized anybody-else.

Oh! Yes! I must refer to the title of "Plainsong", if I do not, I would feel inconsistent and could not keep calm, so I will mention a little about it.

I found out about the word, 'Plainsong' in English which means chants used in the liturgies of the Western Church like a Gregorian chant

I wondered what kind of music or sound they were so I listened to chants in youtube ( / and then churches in the Middle Ages came to my mind and made my feeling magnificent.

Therefore I was surprised by that, because the sounds are quite different from the book.

The sound reminds me of the opening music of "Brother Cadfael" TV [the original by Edith Pargeter (1913 -1995)], (1994 - 1998 / on ITV) in Britain : , and after then I felt the melody is similar to the Japanese National Song, Kimigayo which gave me a different surprising feeimg.
(Surely it could not be that the original of Kimigayo was Gregorian chant or 
Plainsong ???)

Why the novelist chose this title is beyond my thought or feeling.

Just if I understand 'Plainsong' as 'Japanese-English', I could understand that the novel 
depicts the plain, normal, daily life.



D. 表紙 / The Cover 


表紙は、井村 宏次 (イムラ コウジ / 1941 - 2014) の写真が使用されています。

井村 宏次は、霊術 (レイジュツを包括的にまとめた
霊術家の饗宴(1984 / 心交社
の著者です。(私は未読)

保坂さんは、オカルト好きなようなので ()、井村 宏次の写真が使用されているのかな〜と...???

そういうことを全く度外視して、とにかく、このカバーは好きです。


The cover used a photograph by Kouji Imura (1941 - 2014).

He wrote "Reijukuka no Kyouen" (1984 / Koushnsha) which reported on Faith Healing 
comprehensively. ( I haven't read this.)

Kazushi Hosaka seems to like occult (His Interview :  only in Japanese), so the cover is Kouji Imura's work???

I disregard such a thing really and anyway I like this cover.